【御朱印】3.富岡八幡宮(東京)
こんばんは、群青です_φ(・_・(@memo_at_2am)
本当は昨日書こうと思ってたんだけど、
地味にスゴイ!DX 校閲ガール・河野悦子のせいで、
執筆が異常なスローテンポに、、、じゃなくて、
写真の校閲、、いや編集がなぜかうまくいかなくて
さて( ´ ▽ ` )
前回の御朱印はこちら。
今回はお隣門前仲町の富岡八幡宮。
立派な鳥居!洲崎のアットホームな感じもいいけど、
堂々と迫力があって格好いいです。
創建は1624年(寛永4年)、今から約400年も前のこと。
長盛法師が砂州(さす:流水による砂の堆積構造)であったこの付近を
干拓したとき、工事が難航。”波除八幡”の別名を持つ横浜の富岡八幡宮から
分社して同じ社名を許され建立されたことが創建だそう。
こりゃ横浜の富岡八幡宮にも行ってみなきゃな。
残念なことに、第二次世界大戦末期の1945年3月10日、
アメリカ軍による東京大空襲で消失。
1956年に現在の社殿が造営されたんだそうです。
また長い歴史を重ねていってほしいですね。
さてこの神社、入って左手に、近代日本地図の始祖、
伊能忠敬の像があります。
なんでも、測量遠征の前にはこの神社に参拝していたんだとか。
そして隠宅を構えたのがすぐ近くの門前仲町1丁目。
約200年前のこと。
教科書で見かけるような偉人が登場すると、
より歴史の長さを感じさせられます。
この像の奥に名物深川飯が食べられるお食事処があります。
やっぱりこの辺りが海辺だったなんで、考えると不思議というか、
面白いというか。
またここは江戸時代の勧進相撲発祥の地としても有名。
勧進相撲っていうのは、本堂とか山門の造営・修復費用を
捻出するために催されるもので、1684年に幕府から
春・秋二場所の許可が下りたのがこの神社。
新横綱の四股名が掘られる横綱力士碑があり、
土俵入り披露が行われる場所です。
(稀勢の里のときのニュース記事↓)
http://www.sanspo.com/sports/news/20170609/sum17060913300001-n1.html
朱がとても綺麗。青空に映えていました。
(もっと空いれればよかった。。)
参拝後、いただいた御朱印がこちら。
お神輿のスタンプが押してありますね。
江戸三大祭の一つである富岡八幡宮例大祭で担がれる、
日本最大級の金や宝石が散りばめられた豪華絢爛のお神輿が
有名でして(有名なものが多い神社です)、そのスタンプですね。
境内に展示されてるんですが、ガラス張りと人だかりで上手く撮れず。
雰囲気は伝わりますか??
(PLフィルター持っていくんだった。)
当然ですが、過去の御朱印とまったく違う雰囲気。
春日大社は”漢字アート”、洲崎神社はオーソドックスな綺麗な字、
富岡八幡宮は”達筆!”ていう感じ。
これから増えていくのが楽しみです。
神社の勉強ももっとしていきたいな。
帰ろうとしたとき、偶然こんな標識を発見。
旧弾正橋(八幡橋)。
しかも深川飯カーと神コラボ。
もう何か楽しそうなものがある気配がプンプンではないですか。
前回の宿題だった『もう一本の波除碑』と『洲崎』の調査を、
本当はこの日にしたかったんですが、急遽予定変更。
この後この旧弾正橋を目指したお話は、また別の夜に。
それでは今日はこの辺で。
おやすみなさい、よい夜を。
(撮影:PENTAX K-5)